新海誠監督の最新作「すずめの戸締まり」
「君の名は」や「天気の子」に続き発表されたこの作品は、新海誠監督の集大成ともいえる作品です。
この映画は日本神話と深い関わりがあります。また監督は「すずめの戸締まり」について、「場所を悼む物語」だと語っています。
場所を“悼む”とはどう言うことなのでしょうか。
あらすじを含め、日本神話と共に考察をしていきたいと思います!
※ネタバレ含みます
すずめの戸締まりあらすじ
宮崎県の小さな港町に住む、主人公の女子高生岩戸鈴芽(いわとすずめ)は、叔母のたまきと二人暮らしをしています。
おる日登校中の鈴芽は、扉を閉める役割を持つ“閉じ師”の宗像草太(むなかたそうた)と出会います。
鈴芽は草太とどこかで会ったことがあるような気がし、後を追いかけます。
そしてたどり着いたのが、今は使われていない廃墟となったホテル。
そこには扉があり、扉を開けた鈴芽はよく分からないが目の前の石(要石)を引っこ抜いてしまいます。
これによりその扉から黒いものがもくもくと出始めます。これが災いを引き起こす「ミミズ」です。
ミミズが一定量膨らむと、地上におちその衝撃で地震が発生してしまいます。
廃墟となった建物といった、人のこころの消えた場所に扉が現れ開きます。これが後ろ戸と言われ、草太は人知れずこの扉を閉める役割を担っています。
廃墟となったホテルにあった扉から鈴芽が引っこ抜いた要石は、ネコ(ダイジン)へと姿を変え現れます。
ダイジンは草太を毛嫌いし、呪いをかけ3本脚の椅子に変えてしまいます。この椅子は鈴芽の大切にしている思い出の椅子です。
全国各地にある扉を閉めないと大きな災いが起きる。扉を閉めるには草太の閉じ師の力が必要。
逃げてしまったダイジンを探し草太を元に戻すため、全国の扉を閉めていく旅が始まります。
要石(かなめいし)
要石は日本の東と西にあると言われ、常世と呼ばれる死の世界にいる災いをもたらす巨大ミミズの頭と尾封じている石です。
作中では、宮崎県と東京にあるとされていました。
実在する要石
作中だけでなく実際に要石は実在しています。
この4つの場所に要石があり、全て地中に埋められています。
日本古来からの伝承では、地震は地中にいる巨大なナマズが暴れているからと言われており、ナマズの頭と尾を要石によって抑え、地震から守っていたと言われています。
作中に出てくるミミズと同じですね。
日本神話アメノウズメ
太陽の神が隠れてしまい、世の中は真っ暗になり地上では災いが起こります。
「すずめの戸締まり」では、扉から災い引き起こすミミズが出てきて、世の中が真っ暗になり、扉を閉めて防ぐお話です。
主人公の鈴芽の名前の由来は「アメノウズメノミコト」から来ています。
アメノウズメノミコトは、太陽の神であるアマテラスオオミカミが天岩戸に隠れてしまった時に、天岩戸の前で楽しく踊りを踊り、アマテラスオオミカミを引っ張り出します。
そしてアマテラスオオミカミが隠れたとされている天岩戸は宮崎県高千穂だと言われています。また、ニニギノミコトが初めて降臨した場所もここではないかと言われているのです。
そして鈴芽が暮し、最初の舞台となっているのが宮崎県です。
天岩戸の岩戸から鈴芽の苗字の由来が伺えます。
戸を開けたアメノウズメノミコトと、戸を閉める岩戸鈴芽、その逆になっているとも言える設定がとても面白く感じます。
ダイジンとサダイジン
鈴芽によって引っこ抜かれた要石が、姿を変え登場するのが猫のダイジンです。
嬉しかったりするとふくらみ、傷ついたり落ち込むとガリガリに痩せてしまいます。
ダイジンについてパンフレットでは、大きな役割を担う「大臣」と偉大な神である「大神」の2つの意味があると説明されています。
サダイジンが左大臣だとすると、ダイジンは右大臣では?と考えてしまいます。
左大臣は知恵を司り白い髭をたくわえた老人で、右大臣は白い色の若者と言われいるため、若い白猫と繋がります。
サダイジンがダイジンよりも大きく成熟している猫であるのは、右大臣よりも権力や年も上だったためでしょうか。
3本脚の椅子
鈴芽の出身地は宮城県仙台市で、3月11日の東日本大震災で母親を亡くしています。
鈴芽の4歳の誕生日の時にプレゼントさせたにが黄色の椅子です。
東日本大震災の時の津波によって脚が一本なくなってしまいます。
“閉じ師”の宗像草太の名字でもある「宗像」は日本神話でアマテラスオオミカミによって生み出された宗像三女神から由来していると考えられます。
三本脚の椅子に変えられてしまったのも三女神の三からなのでしょうか?
三本脚と聞くと八咫烏を彷彿とさせますね。
場所を“悼む”物語
映画「すずめの戸締まり」について場所を“悼む”物語と新海誠監督はインタビューに答えていました。
何かを始めることより終わらさることの方が難しい。
今みなさんが観たい物語はいろんな可能性を開いていく物語ではなく、
一つ一つの散らかってしまった可能性もう一度見つめ直し、あるべき手段で閉じてくことで、次に進む新しい場所を見つける物語ではないかと思った。
地鎮祭のように、何かを興す際には催事がある一方で、葬式のような見送る際の儀式が場所にはないこと。
同時に取り残されたように廃れていく町や寂しい風景などを日本が衰退していくにではないかと虚無感や閉鎖感に投じた。
東日本大震災を題材にすることや、さまざまな理由によって衰退していく場所。
最初の要石があった場所は、地元の同級生すら忘れてしまっている廃墟でした。
そして二つ目の要石があった場所は人がたくさんいる東京です。
二つの場所の対比も素晴らしいですね。
「すずめに戸締まり」は土地や場所を神様に返していく、感謝を伝えていく物語なのかなと感じました。
いろいろ知ったうえで、また観たい映画ですね!